★要旨:
小嶌診療所における電子カルテシステムの開発経緯と現状の紹介、及び電子カルテのコンテンツに関連した三つのテーマ、すなわち
Free Text vs Structured DataSource-oriented System vs Problem-oriented System
Disclosure vs Confidentiallity
について我々の具体的な取り組みを紹介する。
★システムの概要:
小嶌診療所は医師一人により運営される無床内科診療である。
1989年の開業当初から診療録、医事会計、血液検査器械(院内処理)、自動錠剤分包機から構成された電子カルテシステム(院内LAN)を導入し、日常診療におけるペーパーレス化を実現した。
1995年1月に1回目のバージョンアップを行い、発生源入力の原則を確立した。スタッフ(医師、看護婦、検査技師、事務員)は各自の業務に関連する患者情報をもれなくすべて入力しなければならない。
2000年5月の2回目のバージョンアップでは、ハードウエアの性能の向上による情報処理のスピードアップと診療録構造の改良を行った。
尚、自動錠剤分包機は1996年6月医薬分業の開始とともに廃棄した。
現在のシステムは診療録、医事会計、血液検査器械から構成され、外注血液検査の結果はフロッピーディスクにより入力される。また電子カルテシステムとは独立して運用する画像処理ソフト、スケジュール管理ソフト、ファクスやインターネットなどの通信ソフトが小嶌診療所の情報システムを構成している。
★今後の課題:
過去11年半の経験から電子カルテシステムは実現可能であり、その有用性は疑いようがないと確信するものである。導入の要点は、業務の詳細なシミュレーションとスタッフのモチベーションである。
大規模施設では、より複雑な運用を想定したシミュレーションが要求され、その管理者には
多数のスタッフを掌握する優れた管理能力が要請されるが、診療業務の原則は個人診療所でも総合病院でも同じであり、診療録の果たす役割も基本的には同じである。
大規模施設においても電子カルテシステムの実現は不可能ではない。
電子カルテシステムの実用化への課題云々は過去のテーマである。今後の課題は、優れた診療支援システムとなりうる、より洗練されたシステムの構築にある。課題としてセキュリティ、電子保存の問題などの技術的、法的な問題も重要であるが、ここではコンテンツに限定した議論をしたい。臨床医の立場からは、電子カルテシステムがコンピュータ技術上実現可能となった以上、どのような中身を詰めるのかということが最重要課題である。小嶌診療所電子カルテの実物を供覧し、これらの問題に関する我々の試みを紹介する。
★Free Text vs Structured Data:
電子カルテでは、コンピュータによる情報処理の特性を生かして、標準化された用語やテンプレートなどのStructured Dataを活用できる利点がある。診療録内容の客観性が高まり、キーワードとして検索機能に利用することができる。
しかしながら、すべての患者情報を Structured Dataで作成することは困難である。
身体所見や検査結果の記録、処方箋や診断書、紹介状などの定型文書の発行など、ヘルススタッフが作業手順をコントロールできる情報については、Structured Dataを活用できるが、患者の意思が反映される聴取病歴では困難である。
患者の訴えは多岐にわたり、予測が困難で、用意したテンプレートの枠にはまらないことが多い。多くの場合、FreeTextによる記録作成が必要となる。また、患者の訴えは出来るだけ詳細に、可能ならば、患者の言葉をそのまま記録することが望ましいというのが、診療録作成の原則として広く認められている;
“Ideally,the narration of symptoms or problems should be in thepatient's own words.”(Harrison's Principles of InternalMedicine,14th Edition より引用)
本年4月15日アメリカブッシュ政権は診療録のプライバシー保護に関する法律を承認した。
その中で“Patients would,for the first time,have a federal rightto inspect and copy their records and could propose corrections.”(INTERNATIONAL HERALD TRIBUNE,APRIL 14-15,2001)
診療録開示への社会的潮流のもとで、診療録にも、患者自身が<自分が医師に訴えたこと>を認識できるような体裁が要求されている。診療録を構成する情報のうち、患者から聴取される病歴に関してはFree Text を中心に作成されなければならない。
電子カルテの仕様を考える時、 Free Text と Structured Dataをどのように組み合わせるかが重要である。
★Source-oriented System vs Problem-oriented System:
電子カルテの様式を論じる時に Problem-oriented Systemを推奨する声が多い。
<患者情報を情報源別に分類して記録する(Source-orientedSystem)だけでは不十分である。
それらの情報を問題毎にまとめ、その脈絡の中で診断と治療を考えるのが有用である。>
という議論は確かに説得力をもっている。
しかしProblem-oriented Systemによる診療録にも克服困難な短所がある。
(1)患者は複数の問題を抱えた一人の人間である。それらの問題が複雑に関連している中で、患者情報を問題毎に分断すると、患者の全体像が見えなくなる。(2)同一の情報が複数の問題に関連する場合には、繰り返し記載する必要がある。
(3)現時点では特定の問題に関連していないように思われる情報の処理はどうするのか、等等。
Problem-oriented System だけでも診療録は完成しないのである。
Source-oriented System と Problem-oriented Systemとの関係は、診療のプロセスを考えると明らかとなる。患者の診療では、まず最初に客観情報を出来るだけ詳細に収集し、次にそれに基づいて診断と治療を進める。情報収集とそれに基づいた思考の二段階の作業である。
この第一段階に対応する記録が Source-oriented System、第二段階に対応する記録がProblem-oriented System である。
この両者が補完しあって完全な診療録となる。これを電子カルテの仕様の中でどのように実現するかが課題となる。
★Disclosure vs Confidentiallity:
コンピュータの普及した現代社会では、情報処理の能力が飛躍的に発展し、いろいろな情報が簡単に手に入るようになった。そして個人のプライバシーの侵害が大きな社会問題となり、それへの対応策が重要な課題となりつつある。とりわけ医療はプライバシーの保護が重要視される分野であり、上述の診療録に関するプライバシー保護法の制定もこの一環として捕らえることができる。
現代の医療は多数のヘルススタッフが関与するチーム医療である。電子カルテによって、患者情報に関するコミュニケーション(Disclosure)は飛躍的に促進され、診療の効率が向上し、患者にとって大きな利益となる。また患者自身に対する情報開示にも大きく貢献できる。
一方で患者のプライバシー(Confidentiallity)は最大限に守られなければならない。各スタッフに開示する情報は、それぞれの業務に応じて必要最小限度に留める、という原則が重要となる。
異なる職種(医師、看護婦、薬剤師、放射線技師、事務員)では、必要とする情報が異なリ、同じ職種でも、時に開示範囲に差をつける必要が生じる。例えば主治医と他診療科の医師や施設内と施設外のスタッフでは開示範囲に差が生じることも当然である。そのために患者情報を細分化し、セキュリティに関する階層をきめ、開示する相手毎に、開示範囲をきめ細かく決定しなければならない。
電子カルテシステムでは、この Disclosure と Confidentiallityという矛盾する命題を両立させる方法を見つけ出さなければならない。